いのち 永遠にして(2)

「100万回生きたねこ」


竹内「さよなら」に、柳田さんがシンポジウムで言及された「100万回生きたねこ」が紹介されている。ベストセラーの童話だから読まれた方も多いと思うが、竹内さんの要約を拝借して紹介しておこう。こんな内容である。

ある雄ねこがいて、そのねこは100万回死んで100万回生きかえってきた。ところがそれが、ある雌ねこを愛して、そしていっぱいの子どもをつくる。しかしその雌ねこに死なれて泣きに泣いて、自分も泣き明かして結局死んでしまうが、今度は生き返らなかった、と。P43
(これだけではピンとこないかも知れないが、Amazonのレビューを少し読めばこの本の持つ深さや衝撃力の一端が伝わってくるだろう。)

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)


「100万回も生き返ったのに、なぜ今度は生き返らなかったのか?」という「謎」を巡って(それは自分の生き方に突き付けられた疑問符でもある。)、この愛と死の物語はいろいろ解釈することができるが、竹内さんはこう言われている。

柳田さんは、雄ねこは、ほんとうに愛するということを知り、真にいのちのあるものとなったがゆえに、いのちあるものに平等に訪れる死を受け入れたのではないか、という言い方をされていましたが、つまりいってみれば、その雄ねこはこちらの世界でほんとうに生きた、その生というものをまっとうした、ということなのではないか、と思います。だからもうもうふたたび生き返らなかったということなのではないか、と。P43


私もこの解釈に共感を覚えるが、死生観という切り口からみると、私の考えでは、ここにあるのは「あの世」を必要としていない死生観である。雄ねこは「あの世」で雌ねこと幸せに暮らしたという話ではなく、雄ねこはこの世を「生ききった」のだ。


(続く)