2009-12-01から1ヶ月間の記事一覧

静かな眼 平和な心

「2009年、最も観られた動画ランキングTOP100」で、ZARD「素直に言えなくて」が44位。http://www.barks.jp/news/?id=1000056968&p=0 たぶん、これが今年最後のニュースでしょう。 + + + + + 今年も暮れようとしています。 ようやく年賀状も出し終え(汗…

特設サイト更新

特設サイト"happy christmas"の更新は昨日で終わりだと思っていたし、そう書いたのだが、今日(26日)も更新があったのにはびっくりした。 どこが変わったのかわからなくて少しまごついたが(笑)、WEZARDスタッフからのメッセージだった。 スタッフの皆さん…

坂井泉水さんからのクリスマス・メッセージ

今日(25日)の特設サイト"happy christmas"は坂井泉水さんからのクリスマス・メッセージ。読みながらあらためていろいろなことを考えてしまった。 「扉を開けて明るい光に包まれたなら・・・どんなに素敵なコトでしょう。」 ZARDの楽曲にしばしば登場する「…

クリスマスイブ

今日はクリスマスイブ。といっても、子供が独立してしまうと、家ではまったく普段と変わらない夜だ。それも悪くない。 WEZARDのファンクラブサイトにある"happy christmas"特設サイトは毎日更新されているが、20日と24日では坂井泉水さんの声が聴ける。懐か…

いのち 永遠にして(8)

心の中でにせよ「亡くなった人が生き続けている」とすれば、それは「この世」においてはあり得ないことになるのではないか。それはすなわち「あの世」の実在を認めることになり、「あの世」の存在を前提にしないころから出発したのに、これでは逆戻りではな…

いのち 永遠にして(7)

「われわれは人の死というものを考えるとき、自分の死も他人の死もいっしょくたにしていることが多い。しかし、死というものには、『一人称の死』『二人称の死』『三人称の死』があり、それぞれにまったく異質である。」と柳田さんは言われている。 P222 「…

WEZARD会員サイト更新

WEZARDの会員サイトが更新された。 入ってみると、12/28まで限定で「"happy christmas"特設サイト」がオープンされている。20日から日替わりでコンテンツがアップされていくようだ。 これから毎日が楽しみになるなあ(笑)。

ZARDカレンダー

昨日、ZARDカレンダーが届いた。箱を開けてビックリ。う〜ん、こういうカレンダーもあるのか・・・。 坂井泉水さんの写真の上に、別の透明シートに印刷されたカレンダー(2か月づつ6枚)を重ねて使うようになっているのだ。透明シートを使わなければポスタ…

いのち 永遠にして(6)

脳死 この本(柳田「犠牲」)は脳死についての考察が中心的テーマの一つであり、全体の中でかなり多くの部分を占めている。ここで脳死の議論に立ちいるつもりはないが、全く無視するわけにはいかないので、少し触れておきたいと思う。ただし、この本が書かれ…

Music Freak Magazine12月号(最終号)

フリーペーパーとしては最後となるMFMである。CD売上の減少や、大手CD店の独自のフリーペーパー配布などから店頭での居場所がなくなってきたのだろう。これも時代の流れなのだろうが、淋しいものだ。 今号ではZARD関連では「Looking Back ZARD WORKS」1ペー…

いのち 永遠にして(5)

「犠牲(サクリファイス)」 なぜ息子は死を選んだのか。洋二郎君の命の火が消えようとする時、柳田さんは彼が残した膨大な日記や友人たちからの手紙を必死に読む。その時の柳田さんの激しく揺れ動く痛切な心情が綴られていて読む者の心を打たずにおかない。 …

いのち 永遠にして(4)

竹内「さようなら」には、前述のシンポジウムで柳田邦男さんが「二人称の死」という考え方を述べられ、「二人称(あなた)的存在の死を経験することで、『あの世』の考え方が変わった」と言われたことが紹介されていた。P42 柳田さんは、「一人称(私)の死…

いのち 永遠にして(3)

「あの世」つまり来世、死後の世界の存在を前提とするか否かで死生観は大きく異なってくる。「あの世」の存在を信じていない者にとっては「死んだらそれきり」だが、その場合、生きている意味はあるのか?という疑問が必然的に生じる。若い頃は人生が無意味…

いのち 永遠にして(2)

「100万回生きたねこ」 竹内「さよなら」に、柳田さんがシンポジウムで言及された「100万回生きたねこ」が紹介されている。ベストセラーの童話だから読まれた方も多いと思うが、竹内さんの要約を拝借して紹介しておこう。こんな内容である。ある雄ねこ…

いのち 永遠にして(1)

坂井泉水さんが亡くなられてからというもの、私は「死」について考えることが多くなった。私は「死」というものを一応わかっていたつもりだったのだが、どこか違う。つまり、私の持っていた死生観ではうまく受け止めることができないものを感じ始めるように…