一期一会

「一期一会」。良い言葉だ。

ZARDファンならクルージング&ライブでの坂井泉水さんの言葉を思い出すだろう。本格的なライブとしては最初で最後になるかもしれないという緊迫した状況で語られたこの言葉は、CDで聴いても強く印象に残る。

調べてみると、一期一会というのは井伊直弼の言葉である。ただ、井伊直弼の100%オリジナルではなくて、山上宗二(やまのうえのそうじ)という千利休の弟子が言ったそれに近い言葉を井伊直弼が言いなおしたもののようだ。

井伊直弼は茶道の達人でもあって、もともとは茶の湯におけるもてなしの極意として一期一会ということを述べたのである。
http://homepage3.nifty.com/~bbf/32index.html

今では茶道から離れて、あるいは「もてなし」ということでなくても、もう二度と会えないかもしれないのだから人との「出会い」を大切にしようという意味になっている。あるいは、一生に一度の機会という意味で使われる。

更に、人との「出会い」にも何かの「機会」にも関係なく、今という時は二度とないのだから一瞬一瞬を大切に生きようとする覚悟を指す言葉としても使われる。

「止まっていた時計が今動き出した」の
♪ 此処には過去も未来もない 今しかない
というところは、まさにそのことを言っているのだと思う。

そこでふと思ったのはデビュー曲「Good-bye my loneliness」。私はこの曲の歌詞の刹那的な虚無感が好きなのだが*1、「止まっていた時計が今動き出した」と比較すると、そこで表現された一瞬という時間の内容は、前者を「消えゆく刹那」*2とすれば、後者は「満ちてくる刹那」とでも言えるのではないか、と。

この時間感覚の転換というのは、私にはほとんど人生観の転換のような気がする。あくまで私の推測だが、それが単なる成熟ということではなくて、「予定調和」を排すべく意思した成熟(「無我夢中」)である(らしい)というところが嬉しい。

一期一会。重たい言葉だ。

坂井さんは武道館でも一期一会のこころできっと全力投球してくれるだろう。

*1:たとえば「♪抱きしめて 夢が消える前に」というようなところ

*2:「抱きしめていて」の「♪舞い落ちる刹那」という表現が想起される。