ZARD的なるもの?

今日(2004.8.10)の毎日新聞夕刊で養老孟司さんが「ファーブル昆虫記」についてこんなことを言っている。
ファーブルの功績というのは、昆虫には昆虫のルールがあることに気付き、今まで見えなかったものを我々に見せてくれたこと。それによって我々の世界が広がるのだ、と。
もうひとつは人の生き方。お金でも名誉でもなく、他人が見れば「そんなことをやって何になるの」という世界にも魅力があると示してくれたこと。

読んでいて私はこれってZARDに通じるものがあるな、と感じてしまった(笑)。というのは、聴き手に「今まで見えなかったものを見せ」たり、新鮮な見方・感じ方を発見させる、世界観を提示するというのは、坂井泉水さんの歌詞の魅力のひとつだから。坂井さんの場合は主に言葉と歌という表現手段でそれを実現しようとしているわけである。表現手段が絵の具であれば絵画、人間の動きであれば舞踊や演劇、ということであって、結局、新たな世界に向き合わせるということがアートの本質的部分なのだろう。

もちろんアートは理屈ではない。観念的なのは貧しくつまらない。新たな世界に向き合うときのハッとする感覚、「感性の扉」を開けてそれをキャッチすることが何より大事なんだが、私の場合、心がけてはいても錆びついていてなかなか坂井さんと同じように扉が開かないということが問題なのである(笑)。

それはともかく、何によらず、発見するということは楽しいことだ。養老さんの考えでは、科学というのも新たな世界を提示するという意味で、アートと共通するものがあるのだろう。

そしてもうひとつ。養老さんの言う「人の生き方」の方、つまり、他人が見れば「そんなことをやって何になるの」という世界の魅力の話だが、たぶん、私のようなファンであればしみじみと思い当たるところがあるわけである(笑)。他人には説明不能の世界、でも本人には限りない豊かな世界なんだから仕方がないのだと、堂々と居直ることにしよう。なんてったって養老さんのお墨付きだからね(笑)。