女性的?男性的?中性的!

私のサイトの掲示板で、次のサイトが紹介された。
http://web.archive.org/web/20040629133858/www.mediastudies.pomona.edu/49/day/music.html


かなり量のある英文なので詳しくは読んでいないが、ZARDとCher(シェール)、TLCとSpeed、Monicaと安室奈美恵さんの歌詞に顕われた日米の女性像を比較している。


それによると、日本のこれら女性歌手の歌詞には、女性を受身の存在と考える女性観が顕われ、対するアメリカの女性歌手たちの歌詞には、自己主張の強い、良く言えば主体的な女性像があるという。別にどちらが良いとかを論じているのではないが、何だかステレオタイプ(紋切り型)な意見だなと思った。


しかし、そう言って切り捨てるのは簡単だが、そうかなと思わせるものもあるし、論理的に反論するとなると結構面倒だ。


たとえば、こう反論したとする:日本的な価値観と米国的な価値観は違うのが当たり前だから、平均値を取れば女性観がズレるのは当然だが、個別的に見れば、日本にだって「女性的な」男性も、「男性的な」女性も山ほど居るじゃないか、と。


しかし、その論理自体、「女性的」、「男性的」というわれわれの内にある価値観を顕わにしてしまう。われわれ自身が考える女性的なるもの、男性的なるものがあることは否定できないだろう。ただ、それを「男尊女卑」的な観念に結びつけるのは論外としても、男女には自ずと役割の違いがあるみたいな考え方に結びつけるのは警戒しないといけないと思う。


性差というのは歴史的に形成された部分もあると思うが、違いはある。ただ、それは優劣の問題ではなくて、その差(違い)を互いに尊重するということだ。あー、いささかステレオタイプな意見になってしまったな(笑)。


坂井泉水さんは、自分の歌詞について「中性的」だと言っておられたように思う。別にややこしいジェンダー論を念頭に置いたわけじゃないだろうと思うけど、これって良いねー(笑)。