彼の死

明日はZARD“What a beautiful memory 2008”ツアー@仙台の開催日であり、17年前に1stシングル「Good-bye My Loneliness」がリリースされた日だ。


今日は近畿でも雪が積もった。仙台の天気が気になって予報を見ると、雪後晴れだ。「晴れ女」坂井泉水さんは健在かな?会員専用のWEZARDスタッフリポートによると、「台風直撃と覚悟していた2004年"What a beautiful moment Tour"福岡公演を晴天で迎えてからというもの、雨に見舞われておりません。」とあるが、福岡より前の2004年の初日大阪公演以来、開催時間中は雨らしい雨に遭ったことがないのだ。明日の仙台も天気が回復し無事にツアーが開催されることを祈る。



ところで、ZARDには関係ないのだが、私の犬の思い出を書いておきたい。今日は彼の祥月命日なので。


私が仕事から帰った時、既に彼は息を引き取っていた。ちょうど1ヶ月前の1月9日のことだ。家人の話しでは鳴きもせず、苦しまず、眠るように、16歳と半月の命を閉じた。人間の年齢では93歳に相当するという。彼は小さいけれど最後まで頑張った。本当に偉大なヤツだった。


前の日は食欲が無く、薬を無理やり飲ませたが、亡くなったその日は元気で、いつものように朝食を取り、昼には大好物のサツマイモを食べ、全く普段と変わらなかった。あまり夕方に水を飲むことはないのだが、違ったことといえばそれだけだった。


去年の正月、彼は心臓病と診断された。http://d.hatena.ne.jp/moon2/20070111 弁がうまく閉じなくなった彼の心臓では動脈の血に静脈の血が混ざってしまい、脳に十分な酸素が供給できなくなってしまった。いわば脳の酸欠で、彼は時々意識を失って倒れるようになった。いつ死んでも不思議ではない状態だった。


去年の7月はとくに具合が悪く、医者も夏を越すことはないだろうと言うので、医者にもお別れをしてきたが、彼は暑い夏を乗り切った。10月、私と妻はどうしても東京へ1週間行かなければならず、彼を置いていくわけにも行かないので車で往復したのだが、それにも耐え、予想だにしなかった16回目の誕生日、12月25日を迎えることができたのだった。


私が大晦日の紅白を見ている時、ZARDの歌になると、TVの画面にもう見えない彼の目が向けられた。彼は歌にもTVにも無関心だが、車でいつも聴かされているZARDの歌に反応を示すのはこれが初めてではなかった。彼も坂井さんが好きだったのだろう(笑)。


彼が我が家に来たのは16年前のバレンタインデー、生後約50日だった。当時の我が家は息子たちが難しい年齢にさしかかり、ほとんど親との会話が成立しない状態だったが、息子たちも徐々に彼のことなら話すようになっていった。つまり、彼を中心に家族の間にコミュニケーションが成立するようになったのだ。これは劇的な変化だった。彼が居なかったら、どうなっていたことか・・・。本当に感謝している。他にも彼に感謝していることは書ききれないほどたくさんある。


彼が心臓病を発病する1ヶ月前、長男は結婚し、その1年後、彼が亡くなる20日ほど前に次男は結婚した。それを見届けた彼は、自分はもう役割を果たしたから先に行って待ってるよ、と言っているような気がしてならない。彼が死んだ後も彼の作った家族の絆は残った。


翌朝、焼かれた彼の骨をひとつひとつ拾った。「ありがとう、ありがとう。オレが行くまで待っていろよ。」と。