500年前の坂井泉水さん

(1)
逢いたくて逢いたくて そっと隠れて走ってきたの 
ねえ放してよ 話をさせて 
愛(いと)しくてたまらない どうしたら良いのこの気持ち


(2)
何とか言葉をかけたかったの
ほら見て 空の雲が速いわ 


(3)
花籠に月を入れて 
(籠から)漏れないよう (月が)曇らないように 
大切に持っていたい


ある本を読んでいたらこんな詩があった。実はこれは約500年も前の歌なのだが、現代語に置き換えてみると、坂井泉水さんの歌詞だと言ってもそれほど違和感がないのではないかと思った。


原文は「閑吟集」である。1518年に成立した歌謡集だそうだから、室町後期の戦国乱世の時代に編まれたものだ。最も有名なのは次の歌だろう。
なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ
(真面目くさって どうするの? 一生は夢 ひたすら狂って生きるのさ)


相次ぐ戦乱の世の刹那的無常観を表す代表的な歌だが、「一期は夢よ ただ狂へ」とは過激で凄まじい。今なら放送禁止になるかも(笑)。さすがにこれは坂井泉水的世界観に入る余地は無さそうだが、「閑吟集」には冒頭に挙げたような、若さに溢れた可愛らしい歌もある(なお、3つ目の歌の「花籠」は男、「月」は女を指し、「花籠に月を入れて」とは愛を表現したものだそうだ。とても美しいイメージだと思う。)。


これは「『はかなさ』と日本人―「無常」の日本精神史」 (平凡社新書 364)という本に出てきたものだ。この本は無常観のパターンを3つに分類し、その日本文学の作品例を多数掲載している。私は「坂井泉水が紡いだ「無常」と「愛」の歌」(「音楽誌が書かないjポップ批評: 50: ZARDのアーリー90'sグラフィティ」掲載 http://d.hatena.ne.jp/moon2/20070924)を書くときに読み、参考にさせていただいたが、それを再読していたところ、 こうした「閑吟集」の歌と坂井さんの歌の類似性を感じたのだ。

「はかなさ」と日本人―「無常」の日本精神史 (平凡社新書)

「はかなさ」と日本人―「無常」の日本精神史 (平凡社新書)


この3つの歌には必ずしも無常観が強く感じらるわけではないが、坂井さんの歌詞は500年も前の人にも通じる日本の伝統に根ざした普遍性を持つものだということは言えると思う。


<原文>なお、上記の現代語訳は私がしたものだから、かなりテキトーである(汗)。
(1)あまり見たさに そと隠れて走て来た まづ放さいなう 放してものを言わさいなう そぞろいとほしうて 何とせうぞなう


(2)あまり言葉のかけたさに あれ見さいなう 空行く雲の速さよ


(3)花籠に月を入れて 漏らさじこれを 曇らさじと 持つが大事な