コロー

上野の西洋美術館にコロー展を見に行った。http://www.corot2008.jp/index.html 


これまで私にとって、コローは気になるけどあまり知らない画家だった。それもそのはず、大規模なコロー展は国内初らしい。これまで見たコローの風景画からは印象派と言っても良いのではないかと思っていたが、印象派に含められてはいない。それは何故なのかという超素朴な(笑)疑問が私にはあった。

その疑問はあっさり解決。コロー(1796-1875)は時代的には印象派より半世紀ほど早い。ウィキペディアによれば、いわゆるバルビゾン派の一人らしい。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A6%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%BC というわけで、印象派には含まれないわけだ。


実際に絵を見て行くとコローの時代性が良くわかる。風景画と言っても、フランスでは伝統的に神話や聖書での話の背景として描かれてきたわけだが、コローではそうした古典的風景画と、物語性を脱した純然たる風景画が最後まで混在しているのである。これには少々途惑うが、過渡期とはそういうものなのだろう。


しかし古典的風景画と決定的に違うのは、コローが自然を見たときに感じたインスピレーションに基づいて描こうとしたことだ。古典的な題材の風景画であっても、それは出来事の単なる背景ではないし、ましてや「写実」でもない。描かれているのは森を愛してやまなかったコローの自然との交歓なのである。こうした感性は産業革命による都市化を背景とした田園への憧憬に基づく近代のものだ。画材は古典的でも精神は近代なのである。だからこそコローは印象派の先駆として位置付けられるのだと思う。


今回の展覧会では人物画も多数展示されていて、「風景画家」コローというのは一面的理解に過ぎないことに気付く。ただし、コローは人物画でモデルの内面性や個性を描こうとしたのではなくて、そうした外形重視の捉え方が近代絵画的なのだそうだ。


とは言っても、その表現力の見事さは、この展覧会のシンボルになっている「真珠の女」の絵を見ればわかる(この絵には真珠が描かれていないが、額の髪飾りが真珠と間違われたため名付けられたそうだ。)。この絵が「コローのモナリザ」と呼ばれていることは知らなかったが、手の組み方でモナリザとの類似性にはすぐ気付いた。コローはとても控えめな人だったらしいが、モナリザを意識させるなんて、自信のほどが窺える。なお、写真ではわからないが、実物は髪に細かいラメのようなものが散りばめられ、キラキラ輝いて非常に美しい。


さてさて。実はコローの人物画を見ていて、ビックリしたことがあった。左手で頬杖をつき、右手を膝の上に乗せるという、(左右が逆で身体の向きも少し違うが)坂井泉水さんの描く「少女像」http://d.hatena.ne.jp/moon2/20080616  http://mainichi.jp/enta/geinou/graph/200805/28/ とそっくりな構図の絵が3枚並んでいたのだから。コローの絵が2枚と、その構図を取り入れたというルノワールの絵が1枚だ。恐らく「少女像」は、そうした近代絵画の伝統的構図を踏まえて描かれたものだと思うが、意外なところで坂井さんに出会えたようで嬉しかった(笑)。