無常と美意識(1)

国立新美術館で開催中の「ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展」に行った。とくに静物画に関心があるわけではないが、西洋絵画における無常の表現であるバニタス画が何点か展示されているということに興味を持った。坂井泉水さんの歌詞の無常観と美意識に関心がある私としては見ておきたかったのだ。 http://wien2008.jp/ 


日本人の美意識と無常観は切っても切れない関係にある。坂井さんの作品には無常観が表れた切ない歌詞が少なくない。そういう作品に心が揺さぶられるのは、我々の中に染みついた美意識というDNAが呼び覚まされるからだと私は思っている。


しかし、無常なるものに美を見出すというのは、全人類的に見れば非常にユニークな美意識であるように思われる。全ては変わっていくという無常を感じるのは、日本人に限った話ではない。「万物は流転する」というヘラクレイトスの言葉を持ち出すまでもなく、かなり一般的な感覚であろう(ただし、それが決して絶対普遍の感覚でないことは、真木悠介見田宗介)の名著「時間の比較社会学」に豊富な実例がある。)。

時間の比較社会学 (岩波現代文庫)

時間の比較社会学 (岩波現代文庫)


しかし、無常は嘆きや苦しみの源泉(のひとつ)として否定的に、あるいは克服すべき対象として考えられることが多く、そこに美を感じるのは日本人ぐらいなものなのではないか。それを確認するために、西洋絵画における無常の表現(バニタス画)の美意識を見ておきたいと思ったのである。


(つづく)