無常と美意識(2)

バニタス画の話の前に、日本の無常の美意識について書いておきたい。
仏教に起源を持つ無常観が仏教とともに日本に入ってきた時は、美意識にまだ結びついていなかったと思われるが、万葉集には無常の美意識が窺える歌が現れ、古今集に至って美意識の中に深々と根をおろすことになる。それ以来、長い時間をかけて我々の中に無常なるものに美を見出すDNAが形成されてきたわけである。


ただ、無常に美を感じるといっても、美意識は当初は無常の世に対する諦念をベースにした詠嘆の形で表現されていたと思う。いわば諦念的無常観である。たとえば、

世の中は空しきものと知る時し いよよますます悲しかりけり 大伴旅人万葉集
世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 在原業平古今和歌集

色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず(いろは歌

祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。(平家物語


しかし、「無常だからこそ良いのだ。」と言う人物が現れた。吉田兼好である。
あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。(徒然草第7段)
「あだし野」は墓場、「鳥部山」は焼き場だ(どちらも京都の実在の地名)。要するに、人々が死んでいくことが無ければ、もののあわれも無い。世は無常だからこそ良いのだ、というのである。


「無常だから良い」とは超過激な美学だ(笑)。そこまでは兼好について行けないが、共感してしまう部分もある。兼好がここで到達した肯定的な無常観は、不条理な運命に対して「すべてよし」とつぶやくシーシュポス(カミユ「シーシュポスの神話」)と通底するものがあるかな、などと一瞬思ったが、それはさすがに無理か(笑)。

シーシュポスの神話 (新潮文庫)

シーシュポスの神話 (新潮文庫)


個人的なレベルの問題はさておき、兼好の思想は一種の価値の転換であり、文化史的な事件だと思う。少なくとも、無常観をさらに深化させ、そのままの内容ではないにせよ無常の美意識の形成に大きな影響を与えたことは間違いないだろう。


ついでに(というか、書いておきたいのはむしろこちらだ。)「徒然草」からもうひとつ。こちらも高校の教科書に出てくるような有名な箇所だ。
花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。(以下略。137段)
桜は満開時だけが、月は曇りのない満月だけが良いわけではないというこの美意識は、非常に大きな影響を及ぼしたと思われる。本居宣長が(私の言葉に直せば「インチキ風流だ」と)噛みついたそうだが、私は兼好の美意識に共感する。


それどころか、この箇所は坂井泉水さんの無常の美意識と共通するものを感じるのだ。坂井さんの歌詞に表れる無常観の例はキリがなさそうなのでここでは挙げないけれど、坂井さんは悲しみや絶望の中に希望を、喜びの中に悲哀や不安を表現することが多い。恐らく、坂井さんの美意識では悲しみだけ、喜びだけを表現することに抵抗があるのだろう。「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。」である。


坂井さんは現代における日本の伝統的美意識の体現者のひとりなのだ。その歌詞が我々の深いところにある無常の美意識というDNAと共振するのは当然なのである。そしてそれこそが、坂井さんが幅広い年齢層の共感を集め、支持を受け続けた重要な要因のひとつなのだと思っている。


(つづく)