物語の役割(2)

このように、私にとってはいやおうなく坂井泉水さんのことが思い出されてしまう本なのだが、別の切り口で坂井さんを「感じる」記述はまだまだある。実は「物語の役割」での力点は小川さんの創作のプロセスあるいはスタイルの紹介に置かれており、その中にはきっと坂井さんも思いを共有されておられただろうなと思われる記述がたくさんあるのだ。


たとえば、小川さんによると、作者は物語を作りだす存在と思われているがそうではない。最初の出発点は映像、つまり心に浮かんだある場面の情景であって、そこには既に存在しているが気付かれない物語がある。言葉にするとは、「人皆が知っていながら、誰ひとり言えずにいることを発見しようとする試み」(フィリップ・ソレルス)なのだ、と。まさに坂井さんの作詞のプロセスそのものという気がする。


「テーマ」について小川さんが言っておられることは興味深い。小川さんは「テーマ」などというものが先にあるわけでもないし、それを意識して書くこともないという。「テーマは後から読んだ人が勝手にそれぞれ感じたり、文芸評論家の方が論じてくださるもの」だと言われるのである。
私はインタビューアーなどが坂井さんの詞の「テーマ」を質問したりすると、アホなことを聞くなよとウンザリしていたのだが、きっと答えながら坂井さんも同じ思いだったに違いない、と勝手に思っている(笑)。


もうひとつ、読んでいてハッとしたのは、小川さんがフランクルの「夜と霧」に言及されていたことだ。ナチスによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の象徴、アウシュビッツ捕虜収容所から奇跡的に生還した精神科医フランクルの記録は坂井さんも読まれていた本だったから。

夜と霧 新版

夜と霧 新版

当時私も読み直して、坂井さんも人間の絶望の深さと希望の力を読み取られたのかもしれないなどと想像したものである(さらに想像を重ねれば、「今」の大切さ、命への慈しみ、大きな愛などの想念につながっているのかもしれない。)。それだけのことに過ぎないが、私には坂井さんを思い出させるには十分だ。


「物語の役割」は私には本の向こうに坂井さんが透けて見えるような本だった。


(おわり)