物語の役割(1)

「非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかったとき、人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うようにその現実をいろいろ変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようとする。もうそこで一つの物語を作っているわけです。」


そうか、「物語」なのか・・・。
思い出したくないあの日。坂井泉水さんが亡くなったという衝撃は、なぜ坂井さんが!?という怒りにも似た不条理感と、突然世界が消えてしまったような底なしの喪失感として私を襲った。希望が、夢が支えを失って重力崩壊して行く・・・。その受け入れがたい現実とどうやって向き合って生きて行くのか。


冒頭で引用したのは小川洋子さんの「物語の役割」の一節である。
別にZARDとの関連で読んだわけではなく、実際、ZARDのことが書かれているわけではない。しかし、電車の中でこれを読んでいた時、私は心の空虚に一筋の光が差したような気がして、涙で顔を上げることができなかった。

物語の役割 (ちくまプリマー新書)

物語の役割 (ちくまプリマー新書)

「誰でも生きている限りは物語を必要としており、物語に助けられながら、どうにか現実との折り合いをつけているのです。」
千の風になり、あるいは天国で、心の中で生きておられる。あの日以来、一人ひとりが心の中で物語を紡いでいるのだ。そうしなければ、人は残酷な現実に耐えることはできない。


「物語」はもちろんフィクションである。しかし、物語を紡ぐことこそ、自然な、人間らしい豊かな心の働きなのだ、と。それで良いのだと小川さんは言われるのである。


小川さんの記述にはなく、蛇足を加えることになるけれども、私は「物語」は「現実」に勝るとも劣らない力を持つと思う。
たとえば、太古の昔から民族は自らの存在や世界との関係を説明する物語つまり神話によってアイデンティティを獲得してきたわけだし、壮大なピラミッドや寺院建築、死者を悼む儀式などの宗教行為や芸術的営為、あるいはそれを破壊する戦争をすら突き動かすエネルギー、真善美もその反対も、根底には「物語」があると言えるのではないか。
物語はフィクションでありながらリアルな大きな力を持つのだ。人間は物語の中で生きてきたのだし、物語なしに生きていくことができないのである。


小川さんの著作は読んだことがなく、映画にもなったベストセラー「博士の愛した数式」の作者だということしか知らなかったが、良い本との偶然の出会いは幸せなことだった。
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(続く)