「星のかがやきよ」の無常 2

まず、無常と「永遠」の関係について書いておこう。
無常の相の下では、永遠なるものは存在しない。無常の中に永遠が入りこむ余地はないのだ。では、作品「永遠」はどうなるのか。


一般に永遠とは「いつまでも果てしなく続くこと」を意味する。http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/21899/m1u/%E6%B0%B8%E9%81%A0/
しかし、私の考えでは、坂井泉水さんは作品「永遠」で、無限に永続する時間のことを永遠と呼んでおられるわけではない。ここでは永遠は「時間」ではなく、愛の深さを示す言葉であって、それはむしろ「無」時間的概念なのだ(この場合、恐らく客観的時間としては「果てしなく続く」どころか、一瞬、あるいは非常に短い時間であるはずだ。)。つまり、作品「永遠」における永遠は時間的な意味を持たない。だから何ら無常と矛盾するものではないのである。なお、作品「永遠」については下記も参照いただきたい。
http://f24.aaa.livedoor.jp/~rzard/LRZ/mymind/eien.htm


「時は無常」。この坂井さんの言葉で、私は「止まっていた時計が今動き出した」を思い出す。
♪此処には過去も未来もない 今しかない
以前、このフレーズについて、二度とない「今」の重さを見つめる生への覚悟であり、今やらなくていつやるのか。凄まじいまでの迫力と使命感がある。と書いたことがある。http://d.hatena.ne.jp/moon2/20090908


二度とない「今」の重さ。これは坂井さんが船上ライブで言われた「一期一会」や、WEZARDの会員証とキーホルダーに書かれている"There is no time like the present"という言葉に繋がっている。このように坂井さんが「今」を大切にされたのは、時が「無常」であるという認識(無常観)に裏打ちされているからこそであろう。


無常観というと、一般には諦めに逃げ込んでひたすら美的世界に身をゆだねたり、天国(西方浄土)の世界に救いを求めたり、最悪の場合はニヒリズムに陥ってしまうのだが、坂井さんが到達された無常観は「今日」を生ききること、一日一日真摯にそれを重ねていくことを大切にするという、いわば「積極的な無常観」なのだと思う。


こう書くとまるで坂井さんを思想家扱いしているようだと思われるかもしれないけれど、決してそうではない。詞は理屈ではなく、感性が無ければ作れない。しかし、感性の方向、あるいは感性のフィルターは当然アーティストの人生観・世界観の影響を強く受ける。つまり人生観・世界観は感性のフィルターを通じて作品に影響を与えるのである。
坂井さんは思想家ではなくあくまでアーティストだが、私にとってその作品理解のためには人生観・世界観を知ることは重要なのだ。これまで私は、私の持つ無常観というフィルターで(いわば外から勝手に)坂井さんの作品を見てきたが、http://f24.aaa.livedoor.jp/~rzard/LRZ/JPOP/JPOP1.html 今回、坂井さんご自身が無常観をお持ちであることを知ったことは、とても意義深いことだと思っている。


おわり