無声音

明日もし君が壊れても」は、私の考えでは、死せる恋人(君)へのレクイエムであり、死んでもなお君を愛し続けるという、坂井泉水さんの歌の中でもとりわけ深い歌である。

坂井さんは、曲の最後に無声音でCDの歌詞カードにない言葉を挿入しているのだが、これはどういう意味で、誰の言葉なのだろう。
Call my name・・・Who are you?・・・Call my name

意味としては、Who are you (that) call my name? 「私の名を呼ぶのはだれ?」ということだと思うが、君と僕のどちらの言葉なのかよくわからなかった。しかし、なぜここだけ「無声音」で語られているのだろう?と思った瞬間、ピンときた。

この曲は、恋人が死に、主人公の僕が死んだ「君のまぼろし」に向かって呼びかけるところで終わる。この無声音の語りかけが挿入されるのはその後だから、流れからすれば、これは死んだ恋人からの応答だと解するのが自然だろう。そして、死者の言葉だから、坂井さんは「無声音」で表現したのだと思う。

これを「発見」したときは嬉しかった。「明日もし君が壊れても」は、短い詞の中に凝縮された愛と死のドラマだが、もう一幕あったのだ。

ほんとに坂井さんはすごい。「詞を、言葉を大切にしてきた」と言い切るだけのことはあると、あらためて驚嘆した。

ということで、私のHPの "Essays on ZARD" にある「明日もし君が壊れても」に手を入れて、「幕が閉じてから〜死せる恋人との会話」の部分を追加した。HPを維持するのは結構大変だが、こうした作業は楽しい。