言葉の力 2
大岡信は「人に伝えたいと思っている一番大事なこと」を表現するときは、それを「最上級の言葉」で強調したいという誘惑に打ち克たなければならないのだと言う。
「言葉を大切にしようと多くの人が言う」けれど、何か特別な素晴らしい言葉が別にあるわけではない。その辺に転がっているささやかな「あたりまえの日常の言葉」以外に「素晴らしい言葉なんかない」のだ。ただ、「日常用いているありふれた言葉が、その組み合わせ方や、発せられる時と場合によって、とつぜん凄い力をもった言葉に変貌する。」のである。
なぜそういうことが起きるのか。それは発せられた言葉というものは「氷山の一角」に過ぎないからである。心の部分は海面下に沈んでいて、それが伝わるときに「言葉の力」が現れる、と大岡は考える。つまり、私なりの言い方をすれば、言葉というのは(大半が隠れている)何らかの「事態」の表層に過ぎないのである。言葉という表層部分を通して深い階層にある「事態」が了解されるとき、言葉に力を感じるのだ。
ここで大岡は詩人ノヴァーリスの言葉を引く。
『見えるものは見えないものにさわっている。聞こえるものは聞こえないものにさわっている。それならば、考えられるものは考えられないものにさわっているはずだ。』
(つづく)