鎮魂の響き〜探しに行こうよ2007

葉山たけしさんのアレンジのこのバージョンを初めて聴いたとき、鳥肌が立つような思いがした。ピアノの弱音の下降音階で始まるイントロのただならぬ美しさの中から聞こえてきたもの、それは鎮魂の響きだったからだ。静かに鳴る弔鐘のように、透明な悲しみが響く。


坂井泉水さんのボーカルはほとんど楽器音を被らず、息遣いまで感じられ、坂井さんの声の美しさを最大限生かそうという意図がはっきりと感じられるアレンジだ。


静かなアカペラ調がドラムスで破られるのは「君の死を決して無駄にはしないよ」という所で、葉山さんはそこがハイライトを浴びるようなドラマチックな構成にしている。


ZARDの曲で、こんなにただならぬ美しさが感じられるイントロは例が無いし、こんなに坂井さんが近くに感じられるアレンジも無い。そして、このドラマチックな構成。


葉山さんは、坂井さんへの鎮魂の思いをアレンジに籠めたのだ。
私はそう思っている。


私はこの作品を亡くなった恋人との対話だと理解している。状況が異なれば、歌が違った意味を帯びることは十分有りえることだが、葉山アレンジの説得力もあって、どうしてもここで歌われている「君」は坂井さんのことだと思ってしまう。つまり、この曲で坂井さんと対話することになるのだ。


もちろん坂井さんはそんなつもりは全くなかったはずだが、作者の意図を超えて、聴き手は自らの想いを作品に投影させて受け止める。作品とはそういうものだ。




この曲は元々35thシングル「明日を夢見て」のカップリング曲で、作詞はもちろん坂井泉水さん、作曲・編曲は徳永暁人さんだ。徳永バージョンしかなかった時、私はこんなことを書いたことがある。
明日もし君が壊れても」が恋人の死への遭遇を、「探しに行こうよ」が恋人の死後を歌ったもので、後者は前者の続編に当たる、と。
http://f24.aaa.livedoor.jp/~rzard/LRZ/mymind/aitoshi.htm


今でも私はこう思っている。私の中で「君」が坂井さんに置き換わったことを除いて。