「止まっていた時計」〜再び歌へ、その決意と悲しみ(2)

止まっていた時計が今動き出した

止まっていた時計が今動き出した

「止まっていた時計」がご自身のことだとするなら、坂井泉水さんはなぜそう言われたのだろうか(これは以前からのファンにとっては暗黙の了解のような気もするが、一応書いておく。)。私は体調と音楽の二つの側面があると考えている。体調の面では、この「止まっていた時計が今動き出した」リリースの前、かなりの長期間、体調がすぐれなかった時期があったという。それを知ったのは亡くなってからだが。
音楽面では、あくまで私見だが、前のアルバム「時間の翼」(2001.2.15)は、個々の楽曲は素晴らしいのだけれども、アルバムとしてはZARDとしての新たな方向性をまだ模索している段階だったと思う。つまりこの頃は、体調、音楽の両面で非常に苦しい時期だったのではないだろうか。そしてリリースの間隔が時として延びがちだったのもそんな状態を反映しているのだと思う。そんな苦しい時期のご自身を「止まっていた時計」と表現されたのだろうと私は考えている。


そうした苦しみの時期を経て発表された「さわやかな君の気持ち」(2002.5.22)は、坂井さん自ら「ZARD第2章」のスタートとして位置付けておられる作品だ。「ZARD第2章」という言葉に再出発の並々ならぬ決意を感じるのは私だけではないだろう(当時の雑誌には「背水の陣」、「渾身の力をこめた」など、坂井さんにしては異例な感じさえするコメントが見られる。)。そして、それに続く「明日を夢見て」、「瞳閉じて」、「もっと近くで君の横顔見ていたい 」というシングル作品群で、坂井さんは進むべき新たな方向性を確認して行かれたのだろう。その上でリリースされたのが「止まっていた時計が今動き出した」というアルバムである。


このアルバムでは、(例えばアルバム「Today is another day」などと較べると)激しい感情を表出させるのではなく内側に抑え、どちらかと言えば穏やかな淡々としたトーンで優しく歌われる楽曲が多い気がする。恐らく「ZARD第2章」の新たな方向性として坂井さんが掴んだもの(「大きな愛」)の表れなのだと思う。
また、このアルバムのリリースとほぼ同じタイミングで発表(2004.1.20)された"What a beautiful moment"ライブは、まさに「止まっていた時計が今動き出した」ことを強くアピールする出来事だった。私はそこに、自らの歌の持つ力と、人々に勇気(パワー)と喜びを与えたいという使命を自覚された坂井さんの志を強く感じるのだ。


坂井さんはMFMのインタビューでこう言われている。
Q.アルバム・タイトルに込めた意味を教えて下さい。2004年は動くゾ〜といった決意表明にも思えました。
A.決意表明とまではいかなくても、いい意味で期待を裏切りたいという気持ちはあります。そして温故知新という気持ちと。
http://www.mfmagazine.com/Neo_top_page2/other_contents/backnumber/previous_year/2004/04_01/0401_tokushu1.html


インタビューアーは「これは決意表明ではないか」という直球を投げ込んでいる。確かに、「ZARD第2章」という言葉に込められた決意を感じるならば、アルバム・タイトルを「決意表明」、あるいはそれに近いものと受け止めるのが素直だとは思う。
しかし、政治家ならともかく、普通は「決意表明」など気軽に言えるものではない。坂井さんは「決意表明とまではいかなくても」とおっしゃっているが、「決意表明」という重い言葉はそう簡単には口にできませんよ、ということではないだろうか。しかも、その「決意」には(後述するように)使命感や悲しみの感情がこもっているのだから、「2004年は動くゾ〜」という気楽なノリで表現できる内容ではないのだと思う。


「期待を裏切りたいという気持ち」は、これまでとは違う新しいZARDを見て欲しいという思いであり、それは意表を突くタイトルにも表れていると思う。「温故知新という気持ち」については後で述べたい。


「止まっていた時計が今動き出した」の背景、坂井さんの置かれた状況は以上のとおり。次に楽曲の意味を考える。


(つづく)