いのち 永遠にして(5)

「犠牲(サクリファイス)」

 なぜ息子は死を選んだのか。洋二郎君の命の火が消えようとする時、柳田さんは彼が残した膨大な日記や友人たちからの手紙を必死に読む。その時の柳田さんの激しく揺れ動く痛切な心情が綴られていて読む者の心を打たずにおかない。


「犠牲(サクリファイス)」というこの本のタイトルは、洋二郎君が感銘を受けたというタルコフスキー監督の映画タイトルから取られている。彼は「われわれが一日一日を平穏に過ごしていられるのは、この広い空の下のどこかで名も知れぬ人間が秘かに自己犠牲を捧げているから」だというメッセージをこの映画から読み取り、「名も知れぬ人間の秘かな自己犠牲」に心を惹かれて骨髄ドナー登録をしていたのだ。P59 「自分は誰の役にもたたない存在」だと苦悩し続けた洋二郎君には、そうして人の役に立ちたいという強い思いがあったのである。


「センチメント」の重要性

柳田さんは書く。
「いま私が直面しているのは・・・・明らかに脳死状態に滑り落ちていきつつある息子の、人生における最も大切な時間を、いかにして納得できる意味のあるものにするかという問題だった。センチメントこそ、思考の大事な要素だった。」と。P111


人の死を「科学」の合理主義で割り切ろうとすれば「センチメント」、つまり感情的側面を切り捨てなければならないが、それではいけないというのである。残された者には納得できる「物語」を作り上げるプライベートな場と時間が何よりも大切になる。それは現実を受け入れていくために必要なプロセスなのだ。P241


ノンフィクション・ライターとして日ごろ「科学知識による自己コントロール」を生活信条とされている P43 柳田さんのこの警告は、「死んだらそれきり」と考える者にとっても、また「脳死=人の死」とみなす者にとっても等しく重い。そしてそれは「二人称の死」という考え方にも密接に関係するだろう。


何とかしてその洋二郎君の思いを生かしてやりたい。柳田さんは骨髄移植を医師に依頼するが、「ドナーとレシピエント(移植を受ける人)の白血球の血液型が合う確率は五百分の一から一万分の一という低さ」P60 であり、短時間でレシピエントを見出すことはできなかった。結局柳田さんはそれに代えて腎移植を申し入れる。


そして、洋二郎君の遺体から摘出された二つの腎臓が待機者に無事移植されたという報告を受けた時、柳田さんは「『ああ、洋二郎の生命は間違いなく引き継がれたのだ』という実感が胸にこみあげてきた。」という。


(続く)