いのち 永遠にして(6)

脳死


この本(柳田「犠牲」)は脳死についての考察が中心的テーマの一つであり、全体の中でかなり多くの部分を占めている。ここで脳死の議論に立ちいるつもりはないが、全く無視するわけにはいかないので、少し触れておきたいと思う。ただし、この本が書かれた当時とは医療の進歩で変わってしまっているところがあるかもしれない。


脳死は臓器移植の必要から生まれた新たな死の概念である。死後の移植が可能な腎臓や角膜と違い、心臓、肺、肝臓の場合は心停止前に取りださなければだめなのだという。P46-47 柳田さんは、臓器移植でしか助からない子供たちやその家族を救うためなら、脳死を人の死と認めて良いと考えておられたのである。 P232 


しかし、柳田さんは不思議な経験をする。洋二郎君が脳死と判定された後、毎日柳田さんが行って声をかけると、聴覚は機能していないはずなのに、血圧も心拍数も上昇するのだ。立花隆氏も同様の例を著書の中で挙げられているというから、それほど希なケースではないのかも知れない。P183、P233


柳田さんは、ご子息の脳死の体験で脳死を人の死と認めて良いかどうかがわからなくなってしまった、と言われる。柳田さんの呼びかけに反応し、「顔も胸も血色がよく、あたたかい湿り気がある」「この身体にメスを入れて、心臓を取り出すことなど、私にはとてもできないと思った」。P232-233
私も恐らく同様の気持ちになると思う。柳田さんはこうした心情(センチメント)に素直に従おうと言われるのである。


死はプロセス


このような痛切な経験を経て、柳田さんは「脳死とは人間が死んでゆくプロセスの一つの段階に過ぎない」と考えるに至る。P235
つまり脳死=死ではなく、死の入口に過ぎないのだ。譬えて言えば、脳死とは死のトンネルの入口であり、一端中に入ってしまえば後戻りはできないが、まだ本当の死ではない。本当の死は出口にあるのである。脳死を人の死とするのは、死の入口に過ぎない脳死を終点とみなすことなのだ。


ここでまた、大きな問題が生じる。脳死と「判定」する基準が(例えば100人の専門家がそれを用いれば同じ結論になるような)数学的な厳密さを持っているわけでは無さそうなのだ。従来なら、あるいは他の病院でなら脳死と判定されてもおかしくない状態の患者が、治療により、「前例のない劇的な生還」を果たすことがある。そしてその患者は「身体の障害も言葉の障害も残さずに」、「歩いて退院したのだ。」。 P253 更に同様の例が「十人、十五人と続いている」のだという。P254 「入口」に入ったかどうか自体も曖昧な「基準」で脳死、つまり人の死と判定されたらたまったものではないと私は思った


看取りと物語


柳田さんは臓器移植を待ちわびる人たちの心情を痛いほど分かっておられる。一方、脳死状態にある者の家族の心情はこれまで医療の世界であまり配慮されなかったと言われる。
脳死推進派の医師は、・・・脳が死ねば・・・そこにあるのは死体なのだというが、家族にしてみれば、・・・温もりのある体全体、喜びや悲しみを表現してきた体全体に語りかけ、・・・受容の物語を創ろうとしているのだ。」 P243

「そういう局面で、医師にできることはほとんどないだろう。納得できる物語とは、その家族の人生歴の延長線でしかつくりえないからだ。だが、医師や看護婦は、患者・家族がこころの整理をするための、あったかい環境と「時間」をつくることはできる。私たち家族が息子の看取りの際に受けた恩恵のように。」 P241-242
柳田さんは、看取る者にとって受容の物語を創るプライベートな時間と場所(私の譬えで言えば「トンネルの中」)が極めて重要であり、ターミナルケアにおいても看取る者のこうした気持ちへの配慮が重視されなければならないと言われている。
とても重要な指摘だと思う。


(続く)


文意を明確にするため、イタリック表記部分を追記しました。