歌の表情

この愛に泳ぎ疲れても」を聴いていた時、坂井泉水さんの張りつめたような声の調子にふと気付いた。何を今更、と思われるかも知れないが、私にとっては初めて意識したことだったのでかなり驚いたのだ。「感情をこめ過ぎず淡々と歌う」のが坂井さんの基本的なボーカルスタイルだが、この歌の「声の調子」はその基本路線を踏襲しているのか、していないのか、どう理解したらよいのだろう・・・。


もちろん、坂井さんが感情を強く表現されることもある。
たとえば「Vintage」、「淡い雪がとけて」、「セパレート・ウェイズ」などがすぐ思い浮かぶ。また、「GOOD DAY」には悲壮感とすら言い得るほどの感情の高ぶりがあって、坂井さんはほとんど泣いているかのようだ。さらに、2004年ライブの「もっと近くで君の横顔見ていたい」はCDとは全く違い、抑制された情念を解き放ったボーカルに圧倒された強烈な印象が心に焼き付いている。


しかし、上記の例は基本路線の例外であろう。「この愛に泳ぎ疲れても」は必ずしもそういう「わかりやすい」例ではない。「淡々と歌う」中に表れている微妙な色彩りと言ったら良いのだろうか。これを基本路線内と考えるのか、むしろ例外と見るべきなのだろうか。


そこで思い出されるのが、「(坂井さんは)歌の表情やニュアンスを何よりも大切にしていました」という島田勝弘さんの言葉である(「きっと忘れない」P40)。


これは「淡々と歌う」という基本路線の中で、それぞれの曲で異なっている「歌の表情」を表現することを大切にされたということではないだろうか。


この愛に泳ぎ疲れても」の張りつめた感じ、「サヨナラは今もこの胸に居ます」のとても可愛いボーカル、「あなたを感じていたい」の切なさ・・・。淡々と歌いながらも「歌の表情」は1曲1曲違う。「明るくさわやか」なボーカルだなんて簡単に言ってしまうことはできないのだ。


坂井さんが大切にされた「歌の表情」。もっとそれに注意して、わからなければ何度でも聴かなければ、と思った。