「息もできない」〜綿貫さんのブログ

先日の「Love is Gone」に続いて、今日の綿貫さんのブログに「息もできない」の録音のことが綴られている。特に興味深いのは、坂井泉水さんがディレクションしておられる模様だ。


綿貫さんの文章をそのまま転載するのは問題かもしれないので、僭越ながら少し整理して書いてみる。
まず、ディレクター、坂井さんについて、綿貫さんはこう感嘆しておられる。「ここの部分はさっきの方が良かった」「もうちょっとこういう感じで」等々、凄く的確な指示を頂けるんですよ、これが!


そして、必死でそのイメージに沿うように何回も弾き直した末、何とかOKを頂けたそうだが、ここで坂井さんから新たな提案があった。「ソロの最後の部分、“収まり切らずに溢れちゃった”みたいな感じが良さそう」と。


綿貫さんによれば、これは3:34〜3:35辺りの「♪息も〜」と(ギターがボーカルに)若干被っている部分を指す。厳密に言えばスケールも合ってないところもあったりして、あまりに適当に弾いたので「じゃあ、今のをもうちょっと綺麗に整理して弾いてみます」と、何度かやり直したそうだが、坂井さんのジャッジは「一番最初のテイクが良い」。つまり、何も考えないで「こんな感じですか?」と弾いてみたものがOKになったのだそうだ。


綿貫さんにすれば、ギタリストとしてはやはり技術的に上手く出来たモノを残したいものなので、「そんなもんかなー」とその時は若干不完全燃焼だったという。しかし、今、客観的に聴くと、あの適当な感じが良いというのはよく分かります。狙って出る雰囲気じゃないんですよね。と言われている。


「“収まり切らずに溢れちゃった”みたいな感じ」で「適当な感じ」で弾く。一見、これは坂井さんの制作態度に反するように感じられないこともないが、技術的な正確さよりも、勢いというか、生き生きとした伸びやかさ、坂井さんがよく言われるグルーブ感というのだろうか、そうしたものの方が大事だと坂井さんが考えておられたたことがよく伝わってくるエピソードだと思う。


3:34〜3:35辺りの「被っている」部分を実際に聴いてみると、私にとっては「う〜ん、そうかなあ?」程度の非常に微妙な感じで(汗)、言われなければ(言われても?)何も感じず通りすぎてしまうところだろう。こんな細かな違いを感じることができるだけでも凄いと思う。


しかし、綿貫さんが書いてくれた内容は、坂井さんにとっては何も特別なことではなく、たぶんごく当たり前のいつもの制作活動なのだろう。私もアタマでは理解していたつもりだが、具体的に書かれると強いインパクトがある。細部にまでこだわり、作品を練りあげて行く坂井さんの姿にあらためて畏敬の念を感じてしまった。


坂井さんがディレクションしておられる光景は既出映像には無いが、もしあるなら是非拝見したいものだなあ。


「息もできない」Parmalink:http://blog.livedoor.jp/masaaki_watanuki/archives/1567335.html
「Love is Gone」 Parmalink:http://blog.livedoor.jp/masaaki_watanuki/archives/1564923.html