桜散りゆくように

東京の桜は散ってしまいましたが、被災地東北では満開か、少し盛りを過ぎた頃のようです。桜はいつも通りの花を咲かせ、「負けないで」と歌っているかのように被災された方々を癒し、励まし、復活への希望を与えています。http://skip.tbc-sendai.co.jp/m/news_2/20110413_13466.htm


坂井泉水さんの命日が近づく今頃になると、私は坂井さんが過ごされた最後の日々のことを偲んでしんみりしてしまうのですが、今年はこれまでと違う考えかたをするようになりました。


坂井さんから「肺への転移が見つかった」とのメールがあったのは2007年3月29日(オフィシャルブック「きっと忘れない」P232)、奇しくも東京で桜が満開になった日のことでした。


道すがら、あるいは病院で散りゆく桜をご覧になりながら、坂井さんは何を思われたでしょうか。それは単に「美しい」というようなことではなかったはずです。


実は(私自身の病気のことを書くのは気が引けるのですが)、今回の入院では従来からの持病に加え、別の病気が見つかってしまいました。元々の持病も新たな病気も有効な治療法が無く、食事と薬で現状維持を図るのが精一杯なのですが、今後の加齢と共にバランスが崩れて行き、身体のあちこちに影響が出てくることが容易に想像できます。病気のダブルパンチ・・・ショックでした。将来のドアがバタンと閉じられた感じで気力が萎え、このサイトも日記も閉鎖することを真剣に考えました。


しかし、鬱々と人生を送ったところで何も進まないし、周りや妻や子供達がハッピーにならない。
それなら、無理のない範囲で精一杯やれることを楽しんでやろうと気持ちに切り替えるのにさほど時間はかかりませんでした。


坂井さんには肺転移が何を意味するか、良くおわかりだったと思います。たとえ外科的処置がうまくいっても、身体中に飛び散ったがん細胞を押さえるため、長く辛い抗がん剤治療を続けなければならないでしょう。それは、当然、坂井さんの創作活動に大きな(何事も中途半端では済まない坂井さんにとってはほとんど致命的な)制約をもたらすことになります。


悩まれたでしょう。これからの人生をどうするか・・・。もちろん、私の場合より事態は遥かに深刻です。軽々に推測することはできませんが、結局のところ、歌手生活をほぼ断念し長い治療を選択するか、歌手として精一杯今できること、やらなければならないことをやるのか、究極の選択を迫られたのではないかと思います。


これは今回の私の体験に基づく推測ですが、坂井さんは後者を選択されたのではないかと思います。当時坂井さんと面会された方々は一様に、坂井さんのお気持ちが全然折れていないことを驚きと共に語っておられることも、それを裏付けています。きっと坂井さんは9月に予定されたライブや、新曲制作に残された力の全てを注ごうとしておられたのだと思います。


それは一切の延命治療を拒否して、どうしてもしておきたいことをやるということだったかも知れませんし、少なくとも9月のライブまでは外科的処置ではない治療を行い、その後は治療に専念するという選択肢もあったでしょう。


いずれにしても、坂井さんは9月のライブに向けて意欲を燃やしておられた。私はそう確信しています。その時まだ桜が咲いていたなら、坂井さんの瞳には、たとえようもなく美しく輝く桜が映っていたことでしょう。


しかし、5月27日、その志は悲しくも絶たれてしまったのです。


今日は坂井さんの月命日。坂井さんのために祈りましょう。