亡くなった人への愛

亡くなった人を愛し続けることはできるのだろうか?


坂井泉水さんが亡くなってから、これまで考えたこともなかった疑問が時々湧いてくるようになった。もちろん私の場合、恋愛感情とは違う。感謝に尊敬の念を混ぜたような、と言えば近いかも知れない(坂井さんを愛している女性ファンも多いと思うが、たぶん恋愛感情とは違うだろう。)。


そろそろ90歳に手が届く義母が亭主(義父)を亡くしたのは20年ほど前だ。義母は欠かさずお供えをし、何かにつけてはお父さんのお蔭だと仏壇に手を合わせる。よその家に行くのは好きなのだが、外泊をひどく嫌うのは、お供えもできないし、義父を一人で放置したくないからのようだ。信心深くない私はそんな義母の行為を生まれた時代の違いと思っていた。


しかし、最近、これは義母の義父に対する愛情の表現なのではないかと思うようになった。仏壇に手を合わせるのは仏教への信仰心というより義父への感謝、愛情からなのだ、と。「愛している」という表現が無かった時代に生きてきた人たちの愛情表現には、亡くなった後は仏壇にお供えし、感謝の思いで手を合わせるという形が用意されているのだ。その形で義母は最後まで亡くなった義父を愛し続けるだろう。私の疑問への回答は思いのほか近くにあった。


今日の毎日新聞夕刊で新井満さんは、亡くなった人は思い出すことで心の中で生き続けると言われていたが、愛し続けるということは、ZARDの曲を聴き、坂井さんを思い出すことなのだろう。