夏を待つセイル(帆)のように (2)
(昨日のつづき)
そして、坂井泉水さんが「イントロと最初(出だし)の声が一番重要だと考え」、「話しかけるような気持ちで」歌ったというボーカルが、そのアコギとともに始まる。
♪ほら 今日も風が走る 光が波をつき抜け
その手グッと伸ばしたら 空に届く気がした
目を閉じて聴けば、そこはもう海の世界・・・。そうした世界の中で伝わってくる、初々しいあこがれとトキメキの感情。
「温度差があった」り「反発しあったり」しながらも、君との関係は「ひとつに向かっている」。なぜなら「そこには夢があるから」。夏を待つセイルのように、君を待っている・・・と。坂井さんのボーカルはどこまでも優しい。
しかし、私を驚かせたのは坂井さんの次のコメントだ。
「きっと、この詞の主人公は、いつかは離れていくことを予感しているのではないでしょうか?」(WHAT's IN? 2005.5)
これはどういうことなんだろう?いつまでも君を待っている主人公に、別れの予感があるということなのだろうか。
ちょうどその頃、私は日野原重明先生の「テンダー・ラブ」という本を読んでいた。*1そこでは「愛」の話はたくさん紹介されているが、「恋」の物語はあまり出てこない。*2で、恋と愛はどう違うんだろうなどと改めて考えさせられていた。
私なりに、恋というのは憧れの感情をベースにときめくこと、愛は感謝の気持ちをベースに深く思いやることかな、などと整理していたのである。
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上記の坂井さんのコメントを読んだのはそんな時だった。
(つづく)