ある本のこと

紅白大阪会場、見事にハズレた。
相変わらずくじ運最悪だなあorz・・・。


ところで、12/8の日記のコメントでchihiroさんが紹介してくれた「僕だけがまだ生きてる、その意味を君が僕に教えてよ」という本を読んだ。
一般の流通網には乗っておらず、普通の書店では取り寄せが難しいようなので、Amazonで注文した。ここでは感想や評価めいたことはなるべく控えて紹介してみることにしたい。

僕だけがまだ生きてる、その意味を君が僕に教えてよ。

僕だけがまだ生きてる、その意味を君が僕に教えてよ。

この本は著者が遭遇した5人の死への回想に、著者自身の生活や成長の軌跡を織り込むというスタイルで書かれている。親友のJとその死に最も多くのページが割かれ、その後順に恋人の智子さん、著者の病気の執刀医、同じ病院の女性の患者の死が回想される。


「君」の扱いは他と全く異なる。「君」について書かれた部分は本全体に少しづつ分散されて挿入され、フォントも他と違う。しかし、そういった形式上の違いだけでなく、本質的な違いがある。著者は他の4人の死を回想するのだが、「君」とは「対話」するのだ。


「君」とは誰なのか。読み進んでいくうちに、もしかすると?と思うようになり、やがて坂井泉水さんに違いないと思えてくる。けれど、「君」が誰であるかは一切書いてない。もし坂井さんの名前を出して売れば10倍売れるかもしれないが、それでは坂井さんをダシに使った便乗商法と取られ、本の価値は10分の1になってしまうだろう。著者のこの自制は重要なことだ。


フィクションでないなら、著者は「君」が若いころ、多少の接触があった。しかし、そうした個人的接触への回想はそれほど大きく扱われているわけではなく、青春の一こまという感じだ。


4人の死に遭遇し、自身も死を覚悟させられる病気を経験したにも拘わらず、著者は「仮の人生」のように人生にリアリティを感じられないでいた。しかし、「君」の死後、著者の中で「君」の存在はどんどん大きくなる。そして、「君」と対話が始まる。


そして「君」が遺した言葉や人生そのものが多くのことを伝えてくれると気付き、著者は決意する。
「生きることの意味をわからないと呟くより、それがどこに繋がっているかわからなくてもひたむきに生きた彼女を心に描こう。」と。



存命中はもちろん、亡くなった後も力を与え続けている「君」がここに居る。